アフリカ縦断旅の最終目的地であったアフリカ大陸最南端へ道中で出会った旅人達とレンタカーを使い到着!
本来この岬に到着したのならアフリカ縦断達成!
アフリカの旅終わり!
となるのが一番聞こえはすっきりしそうな気もしたがアフリカに未練があった僕はその後もレソト共和国とスワジランド王国を旅し南アフリカのヨハネスブルクから僕にとってアフリカ最後の旅国となるマダガスカルの首都アンタナナリボへ渡った。
マダガスカルと言えば自然が美しく野生動物が沢山いて人々もそれらと共存したカルチャーを持っている事が勝手に僕の持つイメージであった。
わくわく気分でマダガスカルに到着した自分であったがイミグレーションでは金を求められ、ビザ発行のカウンターでもお釣を誤魔化された。
その時にマダガスカルの経済状態や国民の給料の悪さに察しがついた。
そして僕は警戒心を強くしてアンタナナリボの宿探しをした!すると到着したその宿でエチオピアで出会い数々の修羅場を共に乗り越えた今ではSHAKE HANDS メンバーでもあるたくみ君 と再会する。
たくみ君は惜しみ無くウナギとモスクを愛し、もはやシースルー状態になったボロボロのパンツも捨てずに使い続ける 世に言う今どきの若者とはかけ離れた若者であったが、今後の旅の予定では僕らが会える機会はこのアンタナナリボが最後の場所であった。
そして僕らは残されたわずかな時間で
一生胸に残る大きな思い出をつくろうとアンタナナリボで朝も晩も街中で遊びまくった。
地元の人達とも沢山しゃべった。
もの乞いにも付きまとわれた。
パスポートを持ってなかった事を理由に警察官達には夜中に路地裏に連れていかれ金を脅し取られそうになった。
地元の人とのもめごとは多々あったがたくみ君の出国まで僕らはこれがマダガスカルなんだ。
って事でただただ楽しんだ。
カメラを恥ずかしがる女性
たくみ君と酒をしつこくねだる酔っぱらいのおじさんとの2ショット。
こうした途上国を旅すると勿論嫌な思いをする事もあるが実は僕にとって常に関心してしまう事がある。
小さな子供達でも親の手伝いを文句も言わずにしている姿を良く見かけるが、その度に僕は
「もし自分がこの子だったならどうだろう?」
といつからか考えるようになっていた。
子供達は働いたからってお小遣いやオモチャをもらえる訳じゃないし、まわりから「凄いね!偉いね!」って誉めてもらえる訳でもないだろう。
小さいうちから生きるためにただ働かなきゃいけないんだと思う。
これを仕方がない。の一言で済ませるしかない現実があるのは分かるし今後僕には何も出来ないかもしれないけど真剣に何か自分でも出来る事をずっと考えて行こうと思う。
そしてたくみ君ともとうとう別れの日が訪れた。僕らは再会を約束し別々の道を進んだ。
そして僕は色々と悩んだ末マダガスカルでもっとも有名な観光地バオバブ街道ではなく、マダガスカル最古のバオバブの木を探しにマダガスカル南部をめざすことにした。
ケニアで出会ったマダガスカル愛好家でもある旅仲間のTakeruさんの現地にて調べた情報によるとマダガスカル最古のバオバブが南部のどこかの湖の近くにあるらしいと情報を頂いたがTakeruさんもそこには行けなかったらしく目的地は定かではなかったが僕はマダガスカル滞在をその木を見つけるためだけに費やす事にした。
まずは旅人恒例である長距離バスに乗りとある港町をめざすことに。
途中道路が壊れていたために凸凹な土の道をバスをみんなで押したりしながらの移動であったが僕はそれも楽しんだ。
そして港町に翌日到着して まずは情報収集である。ネットなどには一切情報がなかったためにどうやって更に南部に行けるかは分からないが町の人達やバスの運転手に聞きまくった。
バスのチケット売りの人が翌日このバスに乗れば君の目的地にダイレクトでいけるぞ!と言うではないか!
思ったより簡単じゃん!と思い予約ってことで前払いだよと言うのでチケットを買った。
しかしその日の夜。。。
現地の人と僕が話しをしているときに
「明日どこにいくの?」
と聞かれたのでチケットを見せて目的地を教えるとその人は
「このチケットの値段も絶対嘘だし君の行きたい目的地にバスでなんて絶対行けないよ!君は騙されたよ!」
と言うではないか!
最初はこの人が何か僕を騙そうとしてるような気もしたが
彼は優しい目で
「僕を信じろ!」
と言うので僕は思わず信じた。
そして翌日彼に通訳者になってもらいそのチケット売りを探しに行ったが何の事なく彼は同じ場所で販売していたのだ。
そして通訳の人が販売員に
「このチケットはなんだ?値段も目的地も全部デタラメじゃないか?もしこのチケットに乗って彼が行ったら何もない川岸でいきなり降ろされてその後どーすんだよ?」
店員はマジかって表情で黙りこくりながら時々言い訳をしていた。そしてお金は返すけど今はないから半額だけ返すと言うではないか。
そして僕はその時やはり自分は騙されていたのかと確信した。しかも5倍の金額を払わされた僕はだんだん腹がたってきて
チケットはここで買いたくないから全額返金を要求した。
そしてチケット販売員の仲間もフォローに加わり僕は彼らと大喧嘩になってしまった。
そして一歩も引かない僕は何とか彼らから全額を奪い返し別のバスを探しに街を歩きまわり無事に正規の値段で他のバスのチケットを購入した。
出発は翌朝8時のみだったためまだ時間に余裕のあった僕はこの港町近辺のバオバブの木もせっかくだし見に行く事にした。
なぜかその移動手段は野菜運搬車の野菜と一緒であった。
そしてバオバブの木が随分と自由な育ち方をする事を知った。
そしてマダガスカルにはバオバブの木と共に育つ子供達がいる。
丁度子供達がカメレオンを見つけたと言って騒いでいたので僕も一緒に騒ぐ事にした。
子供達とすぐ仲良くなれるのが僕の一つの特技だがやはりアフリカの子供は陽気なのですぐに仲良くなれた。
マダガスカルに来てから何度も一部の大人達ともめてはきたけど、子供達にはこの純粋な気持ちと笑顔を忘れずに大きくなっていってほしいと強く願っている。
そして翌朝やっとまた南部への移動が始まる。
僕の目指している場所までは大きな川があり橋がかかっていないため道が続いていないらしいがボートを村人から出してもらえば渡れるとの事で僕はその言葉を信じてひたすら南を目指すのみであった。
そして無事に終点である川岸に到着!恐らくバスが走れる道は南部はここが最南端ではないたろうか。
その川岸にある村の人にボートを出してもらえる事になったが、この村の子供達は日本人を見るの初めてなんじゃないかってくらいみんな寄ってくる。しかも純粋にただ遊びたがる子供らしさが何とも言えないくらいほっとする。
村近辺は浅瀬が多いせいかボート乗り場までは1キロほど歩く感じであったが男の子が頭に荷物をのせ一生懸命それを運んでいた。
やはり最近僕の中でこの子供達と自分の子供時代を比べて見てしまう自分がいた。
そして遂に出発である!
ボート乗り場から反対岸までは川の幅がかなり広く波も少し強めで25分ほどかけてびしょ濡れになりながら渡った。
そして無事に岸に到着したがもう100%舗装道路は存在しないが僕が目的地としてるエリアまではまだあと80キロはありそうなのでやはり車を探す事にしたが、現実問題この地域はガソリンスタンドもなくガソリン代が日本と
それほど変わらないほど高く車を持てる人などそうそう居ないようだ。
川にも橋がかかっていないため旅行者がたまたま来る事もなくヒッチハイクも不可能だった。
だが僕は運良く軽トラで南に行く予定の人達が居たためそれに便乗して一時間くらい程の待ち時間で移動ができた!
このままひたすら南にいけば夜までには目的地近辺に着けそうだ。と期待していたが25キロ程南下したところでガソリン代が無駄になるからここで降りてくれと言われ僕は海辺の小さな村に降ろされた。
ここには昔から変わらないマダガスカルの生活がそのままあり村人はみんな漁師をしていた。野菜などは少しだけ買えるが畑などは見当たらず収穫もほんの僅かしかしていないようだ。
僕はここでは宿は見つけてベッドで寝る事は出来たが移動手段が見つからず僅かな現金と海水で体を洗い3日間の時が流れた。
僕は貝殻拾いをしたり海辺で現地の人達と話しをして車が通る日を夢見て過ごした。
写真は薄暗いがこの貝殻の質と数を見ても分かるようこのエリアは手付かずの自然が残っていてどれだけ僕が海辺にいたかを物語っている。笑
そしてこの状況を機会に僕はどんどん子供達と仲良くなっていった!
これだけ子供達と毎日騒ぎ汗だくになっても体を海水洗う日々でベトベトだったけど
僕の気持ちはなぜかさっぱりしていた。
みんなと長く過ごして気付いた事が1つありそれはこの暑いマダガスカル南部で暮らしていてもみんな水をほぼ飲んでいなかった事。正確には水を十分に買うお金がない事だった。
それに気付いた時僕は自分だけ水を飲む事に罪悪感が生まれた。
だけど子供達にとってそれが当たり前でワガママを言う訳でもなくみんなが笑顔で暮らしていられる事に一種の尊敬を覚えた
産まれた場所や環境によって人ってそれぞれ違う感性や夢をもったりするのは当たり前だと思う。
だけど僕らから見てどんなに貧しい生活をしているように写っても子供達にとっては産まれた場所や環境ってそれほど関係がないのかもしれない。
どこでどんな生活をしていても何を食べていても1番この子供達に必要なものって愛してくれる家族や友達が側に居る事なんじゃないかって思う。
貧しい生活をしてる大人達が僕らに金を求めてきても その人達にもきっとこうして守りたい子供達の命が近くにあるんだとしたら僕はこれだけ喧嘩もしたマダガスカルの大人達を嫌いにはなれなくなった。きっと国が変わってもその気持ちは僕らと何も変わらないと思うから。
そして遂に僕はこの生活を通した事がきっかけで村人と仲良くなり僕の最終目的地である湖まで連れて行ってもらえる事になった。
綺麗な海を見ながら
そして遂に僕はマダガスカル最古のバオバブの木 グランドマザーバオバブにたどり着いた。
他のバオバブとは全く風格の違うこの木はただただ僕の心を震わせた。
首都アンタナナリボを出発し片道6日間におよぶ旅路だったがこの6日間は何にも変えがたい時間であった。
帰りもまた何日もかけて戻る旅路になることを覚悟していたが運良く浜辺にいた漁師さんが魚を港町に売りに行くところを僕も乗せてくれた。
色々な事が胸に残り長いようであっという間なマダガスカルの旅だったが
帆を張り風を受けて進むこの小さなボートの上は僕にとって夢の世界にいるようであり色々な事を考える時間になった。
だけどきっとここに住む人達にとってこうした生活は日常であり決して僕とは違うものを感じているに違いないしきっと大変なんだと思う。
国がどうかとか、自分達に出来るか出来ないかでもなく僕ら大人がこれからもより良い世界をつくって行く事を諦めてはいけないと思うし
僕がこの旅で出会ったバオバブの木と共に育つ子供達がいつまでも笑って生きられるように
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